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数年前東京の恵比寿にある日仏会館で安川加寿子先生の作品や展示室観に行く事が出来昔録音したテープを聴くことができました。夜のピアノの夕べは、素晴らしいかったです。
とってもいいお話をお聞きでき、ありがとうござました。二葉せんせいの、「人間のすることですから」に、感銘を受けました。
とてもいいお話でした。安川先生といえばメトードローズ。私の先生は安川先生の門下の方でしたので、よくコンサートに行ったのを懐かしく思い出しました。このお話を聴き自分の先生の指導法にも納得しました。有難うございました。
安川加寿子さんの演奏風景の動画が検索してもほとんどないのが残念です。NHKのピアノのおけいこや、N響とのショパンのピアノ協奏曲第一番をテレビで見たのを覚えています。
レコード、CDは沢山あるのですが、確かに動画はほとんどないようです。テレビ放映以外で録画することがほとんどなかった時代だったのですね。本当に残念です。
安川先生って、おっしゃるのね。存じ上げませんでした。が。。。。。時は流れますし、止まりそうで止まりませんね。
子供の頃に,コンサートがお子さまの運動会で手を痛められて,延期になったことを覚えております。
安川加壽子先生の思い出をお寄せくださりありがとうございます! 偉大なピアニストがお子様の運動会に参加されていたなんて、本当に心温まるエピソードですね。
「自分を出そうとするのは演奏家じゃない。作品をもっと大事にしろ」って、欧州で勉強した人なら、誰でもそういいますよね。正直、音楽学の発祥は19世紀のオーストリアなのであって、それは今でも音大では誤解されているような、音楽史や音楽理論、音楽美学などの、演奏家曰く「頭でっかちな学問」なのではなくて、「信頼できる楽譜づくり」なのですよ。ブラームスがシューマンやシューベルトの全集版の校訂責任者になったりとか。もちろん、ブルックナーがウィーン大学で音楽理論を講じたり、ハンスリックが自律的音楽美学を振りかざした音楽批評を書いて、ブラームスらを擁護し、ヴァーグナーを糾弾したりということはありました。でも、東大美学主導で、楽譜がどこかに行ってしまったかのような日本特有の音楽美学優勢の風潮は、今でもドイツ・オーストリアにはないのです。フランスはそういう意味では、楽譜校訂などはドイツ・オーストリアより遥かに遅れていて、音楽院で教えられていることと、一般総合大学で教えられている哲学的な音楽美学とが乖離してしまっている。だから、パリで学ばれた安川加壽子さんが、「自分を出そうとするのは演奏家じゃない。作品をもっと大事にしろ」と、ドイツ・オーストリア的なことを仰ったというのは、私としては少し意外。-もう日本も、戦後の混乱期ではない。戦後ドイツが、フォルクスワーゲン財団の出資で、ドイツ文化の価値を世界に訴えることで国際社会に復帰するために始めた大作曲家の批判校訂全集企画も、新バッハ全集に始まり、作曲家によってはオーストリアと共同する形で、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス、メンデルスゾーンなどなど、ドイツ系作曲家を網羅する形で次々に発足し、完結してきている。ソ連東欧体制崩壊後は、風通しが良くなったためか、チャイコフスキーやショパンなどの自筆譜研究も現地で進んでいます。-ウィーンでヨハン・シュトラウス国際シンポジウムが開催された際には、地元の音楽高校生たちが、ウィーン図書館所蔵のヨハン・シュトラウスの自筆譜を調べ、知られざる曲を発掘して自分たちで校訂し、演奏しました。日本人でも、内田光子さんなどは、ウィーンに演奏旅行に来られた際に、オーストリア国立図書館音楽部門閲覧室で、同図書館が所蔵するシューベルトのピアノソナタのファクシミリと、旧シューベルト全集を比較して何やら書き込んでいらしたりしたのですよ。99年頃かな?-当時、ウィーン資料研究滞在中で、オーストリア国立図書館音楽部門に日参していた私は、閲覧室の私のすぐ斜め前の席で、懸命にファクシミリと旧全集を比較している内田さんをみて、よほど声を掛けようかと思ったのですが、やめました。内田さんの顔写真はポスターなどで知られているけれど、内田さんが私のことを知っているわけがないもの。本当は、ピアノ科出身のリッチャウアー女史が校訂した新シューベルト全集のピアノソナタの巻は、曲にも依りますが、当時もう刊行されつつあったし、99年夏からは、ウィーン図書館音楽部門主導で、同図書館所蔵のシューベルトやヨハン・シュトラウスの自筆譜のファクシミリのネット無料公開が始まり、オーストリア国立図書館やベルリン国立図書館その他がそれに賛同していた。だから、内田さんがコンサート旅行の合間に、オーストリア国立図書館音楽部門で同図書館のファクシミリ版と旧シューベルト全集を閲覧室で比較する必要はなかったのであって、自宅のパソコンの前で、新シューベルト全集とネット公開されている自筆譜のファクシミリを比較すればよいだけのこと。但し、シューベルト特有の書き癖が現代の演奏家には誤解を招いている場合も多いから、演奏家が自分で調べる前に、きちんと歴史的音楽文献学を学んだ自筆譜研究の専門家の意見を聴いた方がいい。-要は、こういう資料研究の基本を日本の音大のゼミでもきちんと教えておけば、演奏家たちが作曲家の意図に近づくのは、遥かに容易になる。もちろん、自筆譜その他の資料やそれが書かれた当時の楽器の特性、演奏技法、記譜習慣など、様々なことを調べた上で、それでも作品の解釈にはさまざまな可能性がある。だから、何も作曲家や作品の意図を無視してまで個性を押し出そうとしなくても、演奏には演奏家の個性が滲み出るものなのです。安川加壽子さんが仰りたかったことも、きっとそういうことでしょう。*****「デジタルの音に慣れてしまった人が多すぎる」と仰いますが、ある意味それは、現代の問題という以上に、日本特有の問題でもありますよね。-「ヴィデオ審査なんてできない」と仰いますが、80年代以前でも、DAAD のような留学生試験には、カセットテープを提出したものではありませんか。それがデジタルの時代になって、最初の書類選考の際に取り敢えずヴィデオを提出するのは、私は悪くないと思います。ある程度人数を絞ってから、予選、本選と生の演奏を聴いて判断すればよいこと。80年代に留学記のドイツから一時帰国し、日本の大学の図書館にヴィデオが何百枚と揃っていたのを観た時には驚愕しました。でも、ああいう形で、オペラの演出などのみならず、器楽演奏でも、名手の演奏、或いは指揮ぶりなどを映像で簡単に観られるというのは凄いこと。今はそれがネットに溢れていて、国際コンクールも公式サイトで実況中継される時代。-ただ、昔から、「欧米では生のコンサートに行くことが音楽生活の基本で、LPを買うのは、想い出を蘇らせるため。でも日本では、コンサートが充実していないから、やたらとレコードを集めるレコードマニアが多い」と言われてきた。そのことの方が問題。私は、足掛け15年に及ぶウィーン資料研究滞在中、図書館や資料室がすべて閉館になった後は、毎晩のようにウィーン国立歌劇場のオペラやバレエ、やウィーン楽友協会、コンツェルトハウスのコンサートに通い詰めました。昼間は図書館や資料室の開館時間一杯、資料研究三昧。夜はオペラとコンサート。毎日が充実しているから、テレビを観るどころか、CDを聴く気にもなりませんでした。-ドイツの本拠地に帰ってくると、生活スタイルが変わる。田舎の大学街近郊の村では、ウィーンのようなコンサート生活は望めない。だから、家事や雑用をしている間中、CDを聴きました。ネットが発達してからはネットですね。-でも、いくら機械やネットが発達しても、ウィーンのような充実したオペラ・コンサート生活を一度体験したら、CDにしろ、ネットにしろ、会場で味わう本物の生の体験には敵わないことが分かってしまう。要は、そういうコンサート生活を充実させるように社会を変えていかなければならないだけのこと。-ウィーンの人達は、観客、聴衆も目と耳が肥えているから、発想がユニークな企画を立てないとついてきてくれません。加えて、ウィーンだけではありませんが、夕方からは夫婦そろっての大人の社交の世界、という生活の仕方が社会常識になっている。ドイツが、人口比でオペラやコンサートの上演数世界一だというのも、経済大国であるのと同時に、残業なしの定時帰宅が徹底しているから。日本社会も、高度成長期を超えて成熟期に入るのですから、様々なことを変えていかなければならないと思います。外交官令嬢としてパリで育った安川加壽子さんなら、戦後何十年経っても日本社会は変わらないのか、とお嘆きになりそうですね。
それにしても、あの遠足は、国立大学に必要な体育の単位を埋めるためのものだったのですね。普段の体育の授業は、我々はピアノ科と合同での球技で、体格の良いピアノ科学生にドッジボールで至近距離からボールをぶつけられて怖かったのを覚えています。-元フィギュアスケート日本代表の町田樹氏は、國學院大學に奉職して、体育を担当し、バレエの基礎を教えているらしい。芸大でも、オペラ専攻の学生にはバレエの授業もあったはず。一般総合大学の体育の授業でバレエを教えてもよいのであれば、芸大でも、舞曲のもととなるダンスなどを教えた方がよいのでは?-たくおんTVとしてユーチューバーとしてもご活躍チュの石井琢磨さんは、芸大卒業後、ウィーン音大大学院を首席で修了。舞曲のCDを出すにあたり、ウィーンでワルツなどのステップの基礎を習ったらしい。2021年のショパン国際ピアノコンクールに出場した反田恭平さんと角野隼斗さんも、たしかマズルカやポロネーズのステップを習ったと言っていたような。そうしたものを芸大のカリキュラム内で体育として教えることができれば、何も遠足で単位数を誤魔化さなくてもよいし、外部に舞曲の基礎をを習いに行く手間、時間、素養も省けます。
@@erikasono565かつてのムカシのお話しとして、ピアノ科の生徒さんが、マサカのドッジボール??ウソでしょ!!とは、読みなおしてみたりもして、読み間違いないな~、やっぱり、ふっわふわの絹の手まり歌かしらん??なんて、きらびやかに想像してみても、はて?戦中戦後あたりなのかしら?と、妄想でしかありません。くわえて、毎度おなじみ、クニタチなんでしょうか?コクリツのどちらかの??とは、なって、最近、少し多めに飲むことが増えた、Coca-Colaのラベルに、そう言えば、ナンテコトかしら?♪Coke studio ♪って、あるのよねぇ。Coca-Colaって、ムカシムカシは、ほどほどの飲み方をしておりますれば、医薬品だったとも聞いた記憶が御座いまして。暑う御座いましょ?本当に、電気のおかげでも御座いますけど、自販機からおカネを投入致しますと、キンキンに冷えて、アツアツの身体に染み渡りますのよ。生きてるって、いろんな場面で実感なさることは、少なくなくってよ。でも、暑い暑い中で、たったの1本(実は違うのが、アタシなのだけどね、最近ね~)、イマドキで御座いましょ、アチラの青年はガラス瓶にてのお召し上がりだったご様子でしたが。私、ペットボトルの状態で御座いましてね、キャップをですわよ、キュ!っと、アラ~、まだ、ペットボトルのキャップは自力で開封出来ますのよ~って、開封致しますとね、目には見えないような、こまかなこまかな、きっと、琥珀色のキラキラがそこらあたりに飛び散って居るように思われましてね~。あらま~、空気中もご一緒に乾杯出来ましてよ~。あ~、ヤレヤレって、ソレから自宅に帰りましてね、汗を流してましたり、イヤイヤ、コレからで御座いますのよ~って、芋のツルナンゾを、コッチじゃダメなのよ!と、あっちの方にポイとひっくり返したりも致しますのよ。案外、オイモさんも、諦めてるのかしら、今年は久しぶりに暑くて暑くてねぇ。まったく、地面に根っこを張り巡らせないで、のびちゃってるわよ、まるで、くたびれはててる私ソノマンマじゃなくってよ、まったく失敬しちゃうわよね、モ~少し前可愛らしくてもよさそうですのに。それにしても、私なんかより、とっても知的な記述で、読みやすくて、視覚的にも、内容的にも、なんて素敵なのでしょうね。ご馳走様~。ごきげんよう。
数年前東京の恵比寿にある日仏会館で安川加寿子先生の作品や展示室観に行く事が出来昔録音したテープを
聴くことができました。
夜のピアノの夕べは、素晴らしいかったです。
とってもいいお話をお聞きでき、ありがとうござました。二葉せんせいの、「人間のすることですから」に、感銘を受けました。
とてもいいお話でした。安川先生といえばメトードローズ。私の先生は安川先生の門下の方でしたので、よくコンサートに行ったのを懐かしく思い出しました。このお話を聴き
自分の先生の指導法にも納得しました。有難うございました。
安川加寿子さんの演奏風景の動画が検索してもほとんどないのが残念です。NHKのピアノのおけいこや、N響とのショパンのピアノ協奏曲第一番をテレビで見たのを覚えています。
レコード、CDは沢山あるのですが、確かに動画はほとんどないようです。テレビ放映以外で録画することがほとんどなかった時代だったのですね。本当に残念です。
安川先生って、おっしゃるのね。存じ上げませんでした。が。。。。。時は流れますし、止まりそうで止まりませんね。
子供の頃に,コンサートがお子さまの運動会で手を痛められて,延期になったことを覚えております。
安川加壽子先生の思い出をお寄せくださりありがとうございます! 偉大なピアニストがお子様の運動会に参加されていたなんて、本当に心温まるエピソードですね。
「自分を出そうとするのは演奏家じゃない。作品をもっと大事にしろ」って、欧州で勉強した人なら、誰でもそういいますよね。
正直、音楽学の発祥は19世紀のオーストリアなのであって、それは今でも音大では誤解されているような、音楽史や音楽理論、音楽美学などの、演奏家曰く「頭でっかちな学問」なのではなくて、「信頼できる楽譜づくり」なのですよ。
ブラームスがシューマンやシューベルトの全集版の校訂責任者になったりとか。
もちろん、ブルックナーがウィーン大学で音楽理論を講じたり、ハンスリックが自律的音楽美学を振りかざした音楽批評を書いて、ブラームスらを擁護し、ヴァーグナーを糾弾したりということはありました。
でも、東大美学主導で、楽譜がどこかに行ってしまったかのような日本特有の音楽美学優勢の風潮は、今でもドイツ・オーストリアにはないのです。
フランスはそういう意味では、楽譜校訂などはドイツ・オーストリアより遥かに遅れていて、音楽院で教えられていることと、一般総合大学で教えられている哲学的な音楽美学とが乖離してしまっている。
だから、パリで学ばれた安川加壽子さんが、「自分を出そうとするのは演奏家じゃない。作品をもっと大事にしろ」と、ドイツ・オーストリア的なことを仰ったというのは、私としては少し意外。
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もう日本も、戦後の混乱期ではない。
戦後ドイツが、フォルクスワーゲン財団の出資で、ドイツ文化の価値を世界に訴えることで国際社会に復帰するために始めた大作曲家の批判校訂全集企画も、新バッハ全集に始まり、作曲家によってはオーストリアと共同する形で、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス、メンデルスゾーンなどなど、ドイツ系作曲家を網羅する形で次々に発足し、完結してきている。
ソ連東欧体制崩壊後は、風通しが良くなったためか、チャイコフスキーやショパンなどの自筆譜研究も現地で進んでいます。
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ウィーンでヨハン・シュトラウス国際シンポジウムが開催された際には、地元の音楽高校生たちが、ウィーン図書館所蔵のヨハン・シュトラウスの自筆譜を調べ、知られざる曲を発掘して自分たちで校訂し、演奏しました。
日本人でも、内田光子さんなどは、ウィーンに演奏旅行に来られた際に、オーストリア国立図書館音楽部門閲覧室で、同図書館が所蔵するシューベルトのピアノソナタのファクシミリと、旧シューベルト全集を比較して何やら書き込んでいらしたりしたのですよ。99年頃かな?
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当時、ウィーン資料研究滞在中で、オーストリア国立図書館音楽部門に日参していた私は、閲覧室の私のすぐ斜め前の席で、懸命にファクシミリと旧全集を比較している内田さんをみて、よほど声を掛けようかと思ったのですが、やめました。
内田さんの顔写真はポスターなどで知られているけれど、内田さんが私のことを知っているわけがないもの。
本当は、ピアノ科出身のリッチャウアー女史が校訂した新シューベルト全集のピアノソナタの巻は、曲にも依りますが、当時もう刊行されつつあったし、99年夏からは、ウィーン図書館音楽部門主導で、同図書館所蔵のシューベルトやヨハン・シュトラウスの自筆譜のファクシミリのネット無料公開が始まり、オーストリア国立図書館やベルリン国立図書館その他がそれに賛同していた。
だから、内田さんがコンサート旅行の合間に、オーストリア国立図書館音楽部門で同図書館のファクシミリ版と旧シューベルト全集を閲覧室で比較する必要はなかったのであって、自宅のパソコンの前で、新シューベルト全集とネット公開されている自筆譜のファクシミリを比較すればよいだけのこと。
但し、シューベルト特有の書き癖が現代の演奏家には誤解を招いている場合も多いから、演奏家が自分で調べる前に、きちんと歴史的音楽文献学を学んだ自筆譜研究の専門家の意見を聴いた方がいい。
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要は、こういう資料研究の基本を日本の音大のゼミでもきちんと教えておけば、演奏家たちが作曲家の意図に近づくのは、遥かに容易になる。
もちろん、自筆譜その他の資料やそれが書かれた当時の楽器の特性、演奏技法、記譜習慣など、様々なことを調べた上で、それでも作品の解釈にはさまざまな可能性がある。
だから、何も作曲家や作品の意図を無視してまで個性を押し出そうとしなくても、演奏には演奏家の個性が滲み出るものなのです。
安川加壽子さんが仰りたかったことも、きっとそういうことでしょう。
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「デジタルの音に慣れてしまった人が多すぎる」と仰いますが、ある意味それは、現代の問題という以上に、日本特有の問題でもありますよね。
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「ヴィデオ審査なんてできない」と仰いますが、80年代以前でも、DAAD のような留学生試験には、カセットテープを提出したものではありませんか。
それがデジタルの時代になって、最初の書類選考の際に取り敢えずヴィデオを提出するのは、私は悪くないと思います。
ある程度人数を絞ってから、予選、本選と生の演奏を聴いて判断すればよいこと。
80年代に留学記のドイツから一時帰国し、日本の大学の図書館にヴィデオが何百枚と揃っていたのを観た時には驚愕しました。
でも、ああいう形で、オペラの演出などのみならず、器楽演奏でも、名手の演奏、或いは指揮ぶりなどを映像で簡単に観られるというのは凄いこと。
今はそれがネットに溢れていて、国際コンクールも公式サイトで実況中継される時代。
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ただ、昔から、「欧米では生のコンサートに行くことが音楽生活の基本で、LPを買うのは、想い出を蘇らせるため。でも日本では、コンサートが充実していないから、やたらとレコードを集めるレコードマニアが多い」と言われてきた。そのことの方が問題。
私は、足掛け15年に及ぶウィーン資料研究滞在中、図書館や資料室がすべて閉館になった後は、毎晩のようにウィーン国立歌劇場のオペラやバレエ、やウィーン楽友協会、コンツェルトハウスのコンサートに通い詰めました。
昼間は図書館や資料室の開館時間一杯、資料研究三昧。夜はオペラとコンサート。
毎日が充実しているから、テレビを観るどころか、CDを聴く気にもなりませんでした。
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ドイツの本拠地に帰ってくると、生活スタイルが変わる。
田舎の大学街近郊の村では、ウィーンのようなコンサート生活は望めない。だから、家事や雑用をしている間中、CDを聴きました。ネットが発達してからはネットですね。
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でも、いくら機械やネットが発達しても、ウィーンのような充実したオペラ・コンサート生活を一度体験したら、CDにしろ、ネットにしろ、会場で味わう本物の生の体験には敵わないことが分かってしまう。
要は、そういうコンサート生活を充実させるように社会を変えていかなければならないだけのこと。
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ウィーンの人達は、観客、聴衆も目と耳が肥えているから、発想がユニークな企画を立てないとついてきてくれません。
加えて、ウィーンだけではありませんが、夕方からは夫婦そろっての大人の社交の世界、という生活の仕方が社会常識になっている。
ドイツが、人口比でオペラやコンサートの上演数世界一だというのも、経済大国であるのと同時に、残業なしの定時帰宅が徹底しているから。
日本社会も、高度成長期を超えて成熟期に入るのですから、様々なことを変えていかなければならないと思います。
外交官令嬢としてパリで育った安川加壽子さんなら、戦後何十年経っても日本社会は変わらないのか、とお嘆きになりそうですね。
それにしても、あの遠足は、国立大学に必要な体育の単位を埋めるためのものだったのですね。
普段の体育の授業は、我々はピアノ科と合同での球技で、体格の良いピアノ科学生にドッジボールで至近距離からボールをぶつけられて怖かったのを覚えています。
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元フィギュアスケート日本代表の町田樹氏は、國學院大學に奉職して、体育を担当し、バレエの基礎を教えているらしい。
芸大でも、オペラ専攻の学生にはバレエの授業もあったはず。
一般総合大学の体育の授業でバレエを教えてもよいのであれば、芸大でも、舞曲のもととなるダンスなどを教えた方がよいのでは?
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たくおんTVとしてユーチューバーとしてもご活躍チュの石井琢磨さんは、芸大卒業後、ウィーン音大大学院を首席で修了。
舞曲のCDを出すにあたり、ウィーンでワルツなどのステップの基礎を習ったらしい。
2021年のショパン国際ピアノコンクールに出場した反田恭平さんと角野隼斗さんも、たしかマズルカやポロネーズのステップを習ったと言っていたような。
そうしたものを芸大のカリキュラム内で体育として教えることができれば、何も遠足で単位数を誤魔化さなくてもよいし、外部に舞曲の基礎をを習いに行く手間、時間、素養も省けます。
@@erikasono565
かつてのムカシのお話しとして、ピアノ科の生徒さんが、マサカのドッジボール??ウソでしょ!!とは、読みなおしてみたりもして、読み間違いないな~、やっぱり、ふっわふわの絹の手まり歌かしらん??なんて、きらびやかに想像してみても、はて?戦中戦後あたりなのかしら?と、妄想でしかありません。
くわえて、毎度おなじみ、
クニタチなんでしょうか?
コクリツのどちらかの??
とは、なって、最近、少し多めに飲むことが増えた、Coca-Colaのラベルに、そう言えば、ナンテコトかしら?
♪Coke studio ♪
って、あるのよねぇ。
Coca-Colaって、ムカシムカシは、ほどほどの飲み方をしておりますれば、医薬品だったとも聞いた記憶が御座いまして。暑う御座いましょ?本当に、電気のおかげでも御座いますけど、自販機からおカネを投入致しますと、キンキンに冷えて、アツアツの身体に染み渡りますのよ。
生きてるって、いろんな場面で実感なさることは、少なくなくってよ。でも、暑い暑い中で、たったの1本(実は違うのが、アタシなのだけどね、最近ね~)、イマドキで御座いましょ、アチラの青年はガラス瓶にてのお召し上がりだったご様子でしたが。私、ペットボトルの状態で御座いましてね、キャップをですわよ、キュ!っと、アラ~、まだ、ペットボトルのキャップは自力で開封出来ますのよ~って、開封致しますとね、目には見えないような、こまかなこまかな、きっと、琥珀色のキラキラがそこらあたりに飛び散って居るように思われましてね~。あらま~、空気中もご一緒に乾杯出来ましてよ~。あ~、ヤレヤレって、ソレから自宅に帰りましてね、汗を流してましたり、イヤイヤ、コレからで御座いますのよ~って、芋のツルナンゾを、コッチじゃダメなのよ!と、あっちの方にポイとひっくり返したりも致しますのよ。案外、オイモさんも、諦めてるのかしら、今年は久しぶりに暑くて暑くてねぇ。まったく、地面に根っこを張り巡らせないで、のびちゃってるわよ、まるで、くたびれはててる私ソノマンマじゃなくってよ、まったく失敬しちゃうわよね、モ~少し前可愛らしくてもよさそうですのに。
それにしても、私なんかより、とっても知的な記述で、読みやすくて、視覚的にも、内容的にも、なんて素敵なのでしょうね。
ご馳走様~。
ごきげんよう。